長い一日

産後健診・面会日。病院内を朝10:30〜夕方6:00まで右往左往して大変疲れました。冷凍母乳と洗濯したオムツカバーとナプキンを先にNICUに届けて産科受診。


産後健診→子宮復古がほぼ完了、しかし血圧がまだ安定せず、授乳の関係もあるので院内の内科に転科になる。それと、入院中に自費でもするように勧められたおおがかりな血液検査の結果がやっと全部出た模様、一項目気になる結果が出たらしく、抗カルジオリピンIgm抗体という項目が基準値の12倍だったみたいで、先生曰くこんな高い値はまず見れないという話。よろしくないとのこと。この抗体、後で調べたら反復性の流産・子宮内胎児死亡、全身の動・静脈血栓症、肺梗塞、脳梗塞、血小板減少症等に大きく関与するらしい。退院診察の時は「次の妊娠をしたら、NICUのある病院にかかって」といわれたのですが、昨日は「妊娠しようと思ったらここに来てください。してからじゃ手遅れだから」と言われました。妊娠前から薬・自宅注射での治療になるらしい。(昨日母に電話したら、私が高校の時に(健診結果)「産婦人科で一度検査させたほうがいい」と直接担任に言われたという話をしていて、そんなことは私はとうに忘れていた)そんな急いで次の子は早いと思うものの「今の子がある程度落ち着かないと次の子は考えられないのですが、2〜3年後に次の妊娠を考えるとして、その頃私は35過ぎているのですが、私の体で35で妊娠ってどうですか」と質問したところ、先生「うーーん、いや、35歳が妊娠をしちゃいけないとか出来ないとかそういうことはないよ、云々」…早い方が良いのだろう。次の妊娠がないかぎり、この先生や、産婦人科とはお別れですが、手術の腕も良い先生で看護士さんの思い出も残る。入院生活は感慨深い。「とりあえず、高血圧をまず直しましょう。」


内科に行ったら午前中の診察は終わったので午後来てくださいとのこと、トイレでお乳をしぼり、一旦御飯をロビーで食べ、1時間昼寝をしてNICUに行って搾乳。ロッカーで低体重児仲間のお母さん二人と会う。呼吸器を離脱したものの無呼吸発作が続き又呼吸器をつけた話、網膜症が発覚したのにレーザー検査が出来ないという話、精神科に行った話等。「今無理して呼吸器をはずすより、ゆっくり直した方が安心だよ〜」というお母さん。私はうんうんと手で握りこぶしを作る。「そうそう、母乳パックが西松屋で今安いんですって!」とりあえず母乳ブーム。


搾乳をしたら急いで内科に。ちょっと見たユキはオムツをかえていた。せっかく手を消毒してあったのでお尻をさわらせてもらった。出産後すぐに見たときのお尻とちがってプリンとしてきていた。


内科診察→産科担当医からの手紙を読んで、私からの説明を聞き、母乳をあげている話で「困った!」という苦笑いをする内科医。「母乳、一旦止めませんか」「いやです!」今までの薬を少し量を足す程度の処方になる。次までになんとしてももう少し血圧を落としたい。


会計に手間取る。大きい病院の事務員はちょっと苦手。


NICU→先に搾乳。体重781g、ミルク9cc×8回。無呼吸発作は許容範囲内でまずまず調子が良いとのこと。14cc飲んでいた子なので、呼吸の許せる範囲で早くミルク量を増やすらしい。なるべく新鮮なお乳をあげたいので、一回100ml以上になっていたのですが、一袋50ccの小分けにして欲しいとのこと。ユキは元気が良く、何かが気に入らないかブリッジ状態に足をつっぱっている。ブリッジ状態を落ち着かせるために頭と体の抑え方を習う。けっこう圧をかけるんだと思う。酸素を送り込んでいる関係で肺とお腹がぷっくりしていてつぶしそうで不安でしたが、看護士さんの言われた圧で抑えると、ユキは静かに目を閉じてくれました。